このブログでは転職活動や育児休業を通じて少しでも生活を改善していこうと思われている方を応援する形で作成しています。
今回は、私の実体験を含めての転職活動のアプローチを考えていきたいと思います。
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はじめに
私は大学三年生の頃に自分が入りたい企業を決め、そのために大学院進学を選択し、自分が入りたい会社に入りました。
ここまで見ると、就職活動では成功組に入る部類のように見えますが、よくある自分で働きたい会社で働くことを目標としていて、人生全体の目標を決めていなかったことにより、転職活動を始めることになります。
これから就職活動をする人がいるのであれば、人生の目標を考えて活動されることをお勧めします。
数字で考えると明確です。あなたが、いま、大学4年生として22歳から働いて、65歳が現在の定年の時期です。43年もあります。
でも、65歳で仕事を終えた時に、100歳まで生きるとして、35年もあります。
学んできた22年間より、退職後の35年間の方が長いのです。43年間を簡単に決めてしまうと、残りの35年間退屈することになります。
広い視野を持って活動していくことをお勧めします!それでは、本題に入っていきます。
転職活動を始めようとしたきっかけ
転勤族という生き方への疑問
独身で働き始めたころは、自分が働きたかった会社で働けていることを誇りに思っていて、問題はなかったのですが、家庭を持ちはじめたことによって、大事にしているものが会社から家族に変わりました。転勤族という生き方が家族との生活に歪みを与える恐れがあり、考え方を改めることにしました。
自分がやりたいと思っていた海外勤務はだいぶ先だ!
また、元々海外勤務を希望して働いていたにも関わらず、海外勤務が可能となるのは早くて30代ということがわかり、それ以上同じ会社で働いていても、自分の夢が叶うまでは時間がかかるということがわかりはじめてきました。
さらに、私の場合はグローバル人材として働きたいという志向が強く、一回海外へ転勤して日本に帰ってきても、一生国内でしか働けないような生き方が、海外出張ベースでの働き方でも十分であることがわかりはじめてきました。その結果、出張ベースで北米、南米、欧州、東南アジアを経験することが出来、自分が経験したかったことからすると、十分だと思えるくらいの機会を得ました。
自分の目標、目的が曖昧であり、大学時代の自己分析が足りていなかったことと思います。
一方で、働いてみなければわからなかったことでもあるので、学びのチャンスをくれた会社には今でも感謝しています。
その後、日本のメーカーに7年間勤務した後に、外資系メーカーに転職しました。
当時、私の中では珍しい方、と思っていたのですが、外資系で働いてみると、私のような人は珍しい方ではないということがわかり、自分の中で決めている”普通”ということや”当たり前”ということが、如何に自分の環境に左右されているかがよくわかりました。
最初の壁:転職活動を始めてみようと思ったけど、何をしたらいいのかな?
そんな私が、転職活動を始めようと思ったのは働きはじめて3年目です。大きなきっかけは遠距離結婚だったことにあります。
毎週、帰宅のために飛行機のチケットを買い、自腹で実に100万円近くの飛行機代を支払ってきました。
この生活に疑問を持たない人はいないでしょう、二週間に一回とかでもいいのかもしれませんが、結婚したばかりで会えないことは難しいです。
もちろん、オンラインで顔を見ることは出来ても、オフラインで会うことに勝るものはありません。
はじめにしたこと
一方で、その時点での職場に見合うような転職先が見つからず、まず、やり始めたことは、リクナビに登録して求人情報を得ることでした。
ちなみに、重視した項目は、以下の2つでした。
1.転勤がないこと
2.自分の専門分野をある程度生かせること
転職活動1年目
外資系 (*GE : General electric) 製造部門
今も募集があるのかはわかりませんが、最初に連絡をしようと思った会社でした。このタイミングで受けていたセミナーにGE出身でコンサルをしている人がいたので、その方からの影響も大きいと思います。この時にエージェントの方から、他に似たような職種をご紹介いただきました。
この情報をきっかけに、4社くらいのジョブスクリプトをいただきました。
ただ、これらの求人はあまりにも自分のバックグラウンドから離れており、結局確認したのみで終わりました。
自分が何を目指したいのかが、明確になっていなかったのと、変化をする怖さがあり、転職活動を躊躇していたように感じます。
結局、転職活動1年目は何もしませんでした。チャレンジはこの時のみです。
転職活動2年目
外資系 開発職
2年目は少し真面目に活動しました。履歴書、カバーレターなど、必要な書類を揃えて直接企業の採用担当に送りました。
結果は撃沈でした。理由は開発経験がなかったからです。バックグラウンドの大事さを実感したときでした。
外資系では開発職は即戦力を求めており、それなりに結果が出せる人を求めます。
履歴書に必要なのは自分が経験してきたことではなく、希望職種との関連付けでした。
それなりに意識して記載したつもりでしたが、残念ながら伝わらなかったようです。
英語の勉強に注力
少し自信をなくしたこともあり、一度転職活動をやめて、TOEICの勉強に集中することにしました。
目安とした点数は730点を超えることでした。
何故、TOEICかというと英語を頑張りたかったのと、多少見映えする点数にしたかったためです。
いま思うと、少し低い目標設定ですが、当時の私にはこれが限界だったのだと思います。
英語の勉強については、👇に記載していますので、もしよろしければ参照してください。
外資系を受けるために必要だった英語の学習方法、TOEIC対策はもちろん面接練習まで | にこぽこの働き方変革 (nicopoco.com)
当時の生活は
朝:6時半家を出る⇒電車の中でひたすら英語を聞く。
昼:聞いている文面を印刷してみてわからない単語を徹底的になくす。
夜:10時までに帰宅して、10~11時半までの間に30分ほどオンライン英会話をする。
1~2時間程度は英語に触れていた日々だったと思います。
転職活動2年目の終わり頃
そんな折、あるエージェントからお誘いをいただきます。
外資系企業を受けませんか?
この誘いを聞いて、チャレンジしてみることにしました。
ここから衝撃的だったのは、これからの面接は全て英語で実施するということ。
これまで日本語での転職活動すらままならないのに、英語で出来るのかな?と疑問だらけでした。
しかし、途中エージェントさんとの英語面接練習や、先述の英語学習効果もあって、面接をクリアしていきます。自分でも不思議なくらいの進捗でした。
1人目はインドの方でした。片言の英語でこれまで自分がやってきたことを表現すると、とてもAgreeしてくれて、楽しい気持ちになりました。
その結果、2人目までは順調にいきました、2人目の面接官はトルコの方でした、1回目も2回目もSkypeでの面談でした。
2回目の面談で謎の言葉が先方から放たれます。その言葉の意味は何?と聞き返しましたが、先方もその言葉以外の表現を知らず、結局、私が先方の質問に答えられなかった。という方形で終わりました。
この2回目の面接途中で音沙汰がなくなりました。
いくつかの企業を受けていると感じるのですが、候補者は常に複数いて、その複数の中から選りすぐった人材を選びたいというのが世の常のようです。
この時も候補者が他におり、その候補者の結果を待ちたいため、音沙汰がなかったようでした。
結果的に、本社に呼び出されて、最終面接までいきましたが、最終的にはこちらの希望する働き方と、先方が求めている人材像、働き方(転勤族ではないものの出張族でした)が合致せず、その思いが顔に出たこともあり、受かりませんでした。
この時の敗因は相手の会社が欲しい知識、知恵を持ち合わせていないように見えたことでした。知っていることなのに、初歩的な話もちゃんと返せなかった記憶があります。
また、これらの面接を通じてわかったことは、自分が求めている働き方がその職場で出来るかどうかは、面接で話し合っていく中でしかわからないということがわかりました。
せっかく手に入れかけたチケットを手放すことになりました。
転職活動3年目
一度、希望の職場につけないことがわかると、自分がどこに向かったらいいかわからなくなります。
その後もたびたびくるエージェントからの連絡、最近どうですか?とか、こういう仕事があるけど、受けてみませんか?など、連絡の内容は様々でした。
いくつかある、提案を受けて、いざ、受けようとしたところ、
しばらくしたら、募集が凍結しました。
と言われて、結局受けずじまいということもあったりで、モチベーションダウンに繋がっていたのかもしれません。
エージェントとのやり取りはまさにコーチングに近いものがあります。相性もありますし、自分の可能性を引き出すような求人を提示してくれる人もいれば、そうでない人もいることをこの時改めて認識しました。
ここでまた、TOEICを受け800点に達したので、これ以降受けることを止めてしまいました。
転職活動を通じて身に付いた能力の1つなのだと思います。
さいごに
私の転職活動記録は3年で終止符を打ちます。3年目の転職活動で私が行き着いた会社は2年目で採用いただけなかった最終面接まで行った会社でした。
自分のバックグラウンドをしっかり分析したことで、同じ会社の同じ部署の違う課で働くことが出来るようになりました。
ニーズがあり、能力が合致すれば、再度門戸は開かれるのです。
学んだ失敗をバネに、再度自分の背丈にあった仕事に従事する。簡単なようで難しい、そんな感じがします。
そもそも、自分がどんな市場価値があるか、どのようなニーズに応えていけるのか、わかっているようで、わからないものです。
転職活動は、自分の市場価値を如実に反映します。
価値がない場合は、今の会社に残り、研鑽するのも手です。そうやって、自らを高めつつ生きていきたいと思った活動でした。