歴史から多くを学ぶことが出来るといわれますが、本当にそう思います、今回はユリウス・カエサルのルビコン川以前までをまとめてリーダー論としてまとめて発信いたします。
ローマ人の物語から学ぶ対人関係について
Win-Winの関係を意識していた。
自分にも相手も良い成果を得るためには如何にすべきかを当時から体現していた民族だったように感じます。
失敗した人に罰を与えなかった
ローマでは敗戦した大将に罰は与えなかったそうです。
敗戦し、過去から学んで未来に活かすように民族的に考えており、その結果としてローマは繁栄していたものと考えられます。
※ちなみにカルタゴの敗戦大将は死罪であったというから、ローマ人との考え方の違いがよくわかります。
日々進化することを求められていた。
「貧困であることは罪ではない、貧困であることに甘んじていることが罪である」
キリスト教的な考え方とは反するのかなと感じましたが、この考え方に触れると、日々の変化を通じて進化をしていかねばならなかったことを、実感します。
※近代から触れた歴史より、古代から触れた歴史のほうが信用性がある。
ローマ人の物語から学ぶ優れたリーダーとは
優れたリーダーの条件
Sereno((空が)晴れた、快晴の、澄みきった、のどかな、晴れ晴れした、落ち着いた、冷静な)
嫌味がなく、さっぱりとした雰囲気を醸し出す、そんなリーダーが今も昔も惹かれているのだと感じました。
一方で、自分を優先させるリーダーが後を絶たないのはなぜか。 自分の優先することが、チームの優先するものとイコールの場合はこの戦略で問題ないけれど、イコールでなくなる時にリーダー資質を保つことは難しくなる気がします。
リーダーになった時に覚えておきたいこと
年齢が頑固にするのではない。成功が、頑固にする。
そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た経験自身が別の道を選ばせることを邪魔するのである。
リーダーとは自分を犠牲にするものだ。
ハンニバルは、食事も休憩も必要と感じたときにしかとらなかったらしい。彼にはするべきたくさんのことがあったから、そうせざるを得なかった。
犠牲にするばかりが正義ではないことも今の時代では大切です。
関係性は双方で成り立つものであり一方的ではいけないのだ。
優れたリーダーは優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではなく、率いた人々に対して、自分たちがいなくてはと思わせることに成功できる人でもあるかもしれない。
指導者とは 知性、説得力、肉体の耐久力、自己制御、持続する意志
ユリウス・カエサルが持っていたと言われる資質です。
リーダーとして迷ったときの選択の仕方
1.よきことは、より大きいほうを選択し、悪しきことはより小さいほうを選択する。
よきことも、悪しきことも選択せざるを得ないのであれば、善悪は自分にメリットあるものを抽出する力を得たい!!
2.自分自身の能力と誠実さがもっとも信用性のあるものである。先代のバックアップはいらない、自分自身としていきよ!!(ガイウスマリウス)
平民出身として、トップまで上り詰めて、人々を説得させるような演説を行った点は大変参考になる。
盛者必衰という言葉がありますが、リーダーとして必衰にしないための心がけ
いずれの世にも盛者必衰という言葉は尽きないようです。 敵は尽きない、仮に敵がいなくなったとしても、問題は尽きない。外部の問題も時の経過により、内部の問題に変わります。
現実の世を見ていると、盛者は必衰であり、ずっと繁栄し続けることは難しいように見えて仕方ありません。
では、盛者であり続けるためには?
1.本当の意味での成功は自分が事を成し遂げた時に、その成功にすがりつかないことにある
⇒成功には去り際がつきものであるという意味だと認識しました。
2.公私をわけ、公は厳格に、私は喜劇的に振舞うことで、本当に人生を楽しめるでしょう。
3.人間の幸せ/コミュニケーションの過不足には客観的な基準は存在しないので、コミュニケーションを取るときは注意が必要。
コミュニケートという言葉があります。共に過ごす時間が多ければ多いほどコミュニケート度も高くなるというものではなく、沈黙は生じるものであり、その距離感が大切です。
コミュニケートにおいては、客観的な基準であるから、相手にコミュニケート十分と感じさせることが重要です。
相手を立てて、相手の話を傾聴することで、これらのコミュニケート不足は改善するものと思われる。
ただ、客観的な基準がないということは、 コミュニケートの仕方は多種多様であり、これが正解!!というものはないのである。
組織が健全であるためには十分なコミュニケートが必要である。