今回の話題はタイトルにもある通り、モンテッソーリ教育が合う人、合わない人。
結論から言うと、モンテッソーリ教育が合わない人はいない。
モンテッソーリ教育を行うと、子どもが自分の興味に合わせて自分でお仕事を選ぶ姿が見られます。
ただ、自分で選ぶといっても、子どもが提供されている環境次第でお仕事の選び方は変わります。
例えば、ある園ではモンテッソーリの数の教具は前期(4月~8月)は出さないと言っています。
園長先生にその考え方をお聞きしたら、年少さんの4月~8月では早すぎるから、ということのようです。
AMIのイベントを行われる有名な園だったので衝撃的な発言だったのを覚えているのですが、そもそも数の敏感期って3~6歳って書いてあります。
これは、書籍などにも記載されているので、どちらが正しいのやら・・という感じでした。
引用元:モンテッソーリ教育って?- 浜松市 中区 佐鳴台 の幼児教室 モンテッソーリ はままつ こどものいえ (monte-happy.jp)
なんであわないことがあると思ったか?
モンテッソーリ教育を教えている人からは”モンテッソーリ教育があわない人”という言葉は出てこないと信じていたのですが、上記のAMIのイベントも開催しているモンテッソーリ幼稚園の副園長さんが、「〇〇ちゃんの場合はモンテッソーリ教育はあわなかったのね。」という言葉を聞いてしまいました。
私の理解では、モンテッソーリ教育は発達段階にあわせてこどもの敏感期を捉えて、その中でその子ならではの能力を観察し、引き出していくものと捉えていたので、その副園長さんの衝撃的なコメントは今でも忘れることができません。
モンテッソーリ教育があわない人なんていないんだ!
私は、モンテッソーリ教育があう人、あわない人はいないと思います。モンテッソーリ教育は元々持っているその子の資質を最大限引き出すための教育として考えた時に、最大限能力をのばせた人と、そこまで能力がのばせなかった人とで違いが出るとは思います。
これはモンテッソーリ教育に限らず、あらゆる教育において言えることだと思います。
福沢諭吉の本だったと思いますが、体操選手のような筋肉を遺伝的に持った人と体操選手のような筋肉を遺伝的に持った人とを同じようにトレーニングしても、行き着く先は同じにならない。もともとの資質が違うから。
というようなことが書いてありましたが、そのようなもので、モンテッソーリ教育を受けて行き着く先は人それぞれ違います。
言葉の使い方だと思うのですが、あう、あわないだけで一蹴して欲しくないなぁ、と保護者の立場から感じるのでした。
モンテッソーリ教育は色々な園で色々な解釈をもとに実践されているので、どんな教育方針で、どんな体制でやっているか、新しい情報はUPDATEされているか、など多角的に確認する必要がありそうです。